武士道の起源を誰にでも分かりやすく解説します。 『武士道 新渡戸稲造』
「武士道っていつからあるの?」
「武士道は日本特有のモノじゃないって聞いたけど本当?」
「武士道に興味があるけど難しくてわからない」
そんな貴方に、武士道の起源について分かりやすく解説します。
こちらの本
『武士道 新渡戸稲造』

を参考にしつつ、全体像として
◎、武士道はいつ頃に出来たモノなの?
武士道の考え方としての起源
◎、仏教が与えたモノ
◎、神道が与えたモノ
◎、孔子(儒教)が与えたモノ
◎、王陽明(儒教)が与えたモノ
このような流れで見ていきます。
この記事を読むことで、武士道がいつ頃からある考え方なのか知る事ができます。
どんな考え方に強い影響を受けたモノなのかを知る事が出来ます。
なお、
「そもそも武士道がどんなモノか分からないのですが・・・」
という貴方はこちらの記事をどうぞ。
>>>日本人の精神・生き方として今もまだ残る武士道を分かりやすく説明。『武士道 新渡戸稲造』
それでは武士道の起源を見ていきましょう!
武士道はいつ頃に出来たモノなの?
結論:『1185年ころから出来始めた』
武士道が出来たキッカケは封建制と言われています。
封建制とは、支配者がおり、その人が周辺地域を領地として治めるような社会構造のことです。
その封建制の始まりが1185年からの鎌倉時代になります。
スッキリと分かりやすいように明確な年数を示しましたが、封建制がいつ始まったのかは曖昧です。
そして武士道が発生するキッカケとなった封建制が曖昧なのですから、当然武士道がいつ発生したのかも曖昧です。
そのため厳密には
『1185年から始まった』
ではなく、
『鎌倉時代に入ってから生まれた』
としか言えないものです。
さて、いつ始まったのか明確には分からない武士道。
更に、武士の共通認識を統一するために作られたモノでもありません。
※ 先に紹介した記事参照
封建制という社会構造の中で、自然発生的に沸いて出てきたモノと言えます。
そのような状況なので
「武士道の考え方・教えとしての起源は複数あったのではないか?」
と言われています。
現代では
『武士道に大きく影響を与えたモノ』
との位置付けですが、これらを起源と捉えて更に深掘りして行きたいと思います。
教えとしての武士道の起源『仏教』
結論:『穏やかに運命を受け入れ、運命に従う精神を与えた』
仏教は難しい言葉を使わないで、簡単に説明するなら
「仏様の教えに従って修行・努力をし続けて、精神的にも、存在としても、人間という領域を超えて行こう!」
という趣旨のモノです。
これが武士道に大きく影響を与えています。
武士道は、戦いの中に身を置く武士の精神の支柱です。
つまり、常に死と隣り合わせにある者達ですので、自分の生死に関して常に強い関心を持っている必要があったわけですね。
自分がいつ死ぬか分からない状況なわけですから、私達の感覚では発狂してしまいますよね。
しかし、武士は発狂せず、自分の置かれた状況を受け入れていた。
そこに仏教が取り入れられていたからなのだと考えられます。
仏教は武士道に
『自分のいつ死ぬとも分からない運命を受け入れ。それにいつでも従う覚悟を与えた』
まさに人間と言う存在を超えた精神と言えますよね。
教えとしての武士道の起源『神道』
結論:『感謝の心や自分自身と向き合う心を与えた』
神道とは、日本に昔から伝わる考え方のようなモノです。
例えば代表的な考え方を例に出すと
「全てのモノに尊い存在(神様)が宿っているんだから感謝しましょう!」
「今の自分がいるのはご先祖様達が居たからなんだよ!ご先祖様達にも感謝しましょう!」
のような感謝の気持ち。
これが派生して、自分よりも上の立場の存在への忠義心にもなっています。
「今の自分はご先祖様達に恥じない人間なのか?」
「今の自分は平静で澄んでいるのか?」
のように、自分自身の内面と向き合う気持ち。
これによって、自分の中に持つ芯がぶれないで、真っすぐ立ち続けることができるわけです。
武士がただの戦闘狂・殺戮魔にならず、民衆から尊敬される清廉潔白な生き方をしていた根源と言えるかと思います。
教えとしての武士道の起源『孔子(儒教)』
結論:『武士としての道徳を与えた』
孔子の説いた儒教。
名前を聞いた事はあっても、内容を知らない人は多いと思います。
簡単に言うと、人に道徳を与える考え方のことです。
要は
『昔の道徳教育』
ですね。
儒教が武士道に大きな影響を与えたのは、その教えを見れば明らかです。
武士道の教えの細かい内容はこちらの記事に譲りますが、
>>>日本人の精神・生き方として今もまだ残る武士道を分かりやすく説明。『武士道 新渡戸稲造』
孔子の説いた儒教の教えは
『仁』・・・他者への思いやり
『礼』・・・他者への愛情を表すためのモノ
『聖人』・・・目指すべき、最高の人格者
『天』・・・人間が生まれ持つモノ
と言われます。
一方の武士道にも
『仁』・・・他者への愛情
『礼』・・・他者の尊重と同調を表す行為
という考えがあります。
無関係という方が不自然ですよね。
儒教の大事な教えの中で考え方として置かれている
『仁』と『礼』
これら2つが強調されているところから、
「他者への愛情等(仁)は、心に思っているだけではなく、キチンと行動(礼)として表さなければいけない」
と言っているようなものですよね。
実は武士道においての儒教は、特にこの部分の影響が大きかったようです。
そのため、知識を求めること自体が目的となっている、ただの知識人は冷たい目でみられていたようです。
『知識は実践しなければ意味がない』
現代にも通じるところがある考え方と言えそうですね。
教えとしての武士道の起源『王陽明(儒教)』
結論:『武士に清廉潔白な生き方を与えた』
この考え方を起こした王陽明(おうようめい)さんは
1472年~1529年まで生きた人
なので、武士道の発生よりは遥かに近代の人です。
しかし、武士道は時代ごとに生まれ、変化していき、明治時代くらいまで残ったモノです。
その間に、一つの起源と呼べるほどの影響を与えたという事ですね。
では武士道にそれほどまでの影響を与えた王陽明さんの考えはどんなものでしょうか?
それは
『知行合一(ちこうごういつ)』
これをとてもザックリいうと
「知識と行動は一致するんですよ」
という考え方です。
これって何となくイメージできますよね。
例えば、アニメ好きのいわゆるオタク、アニオタと呼ばれる人達。
アニメの知識が半端ないわけですよね。
行動や雰囲気がそれとなく分かりますよね。
日本語研究者と呼ばれる人達はどうでしょうか?
言葉が丁寧で、キレイに聞こえ、やはり、行動や雰囲気がそれとなく分かります。
茶道の専門家でも、剣道でも、柔道でも、医学でも、プログラマーでも、ビジネスマンでも・・・
その人の中にある知識に影響を受けて、行動や雰囲気が出ている事が多いですよね。
だから、武士は、武士として、民衆に尊敬されるような清廉潔白な生き方をするために、そういった知識を習得していったわけですね。
『武士が武士であるために心に置いた考え方』
と言っても過言ではないと思います。
まとめ

こうして武士道をまとめていると、とにかく武士は自分自身に真っすぐ・真面目だったことが想像させられます。
それでは
『武士道の起源を誰にでも分かりやすく解説します。 『武士道 新渡戸稲造』』
についてまとめて終わりにします。
武士道はいつ頃に出来たモノなの?
封建制の始まった鎌倉時代(1185年~)
武士道の教えとしての起源『仏教』は
穏やかに運命を受け入れ、運命に従う精神を与えた
武士道の教えとしての起源『神道』は
感謝の心や自分自身と向き合う心を与えた
武士道の教えとしての起源『孔子(儒教)』は
武士としての道徳を与えた
武士道の教えとしての起源『王陽明(儒教)』は
武士に清廉潔白な生き方を与えた
ここまで読んで頂きありがとうございます。
是非、他の武士道シリーズの記事も宜しくお願いします。
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