理性的に自殺を考える。適切な自殺というものは存在するのか?『死とは何か 著:シェリーケーガン』

2020年7月23日

 死は

『その人の可能性を奪うから悪い』

と見てきました。

>>>本質的な死を考える。「貴方は宗教に頼らず死を語れるか?」

 

 しかし、それはあくまでも

『訪れる死』

についての話です。

 

 ここでは自ら選択する死、つまり

『自殺』

について考えていきます。

 

 貴方は

「自殺なんて悪いに決まってる!」

「自殺をしたら多くの人達が悲しむ!」

「自殺をしたら地獄に落ちるんだよ!」

等と考えるかもしれません。

 

 しかし、それらは前の記事で否定されましたよね。

 周囲の人達が悲しむのは死に限った事ではありません。

 天国や地獄は宗教に頼ったモノで、ここでやっている理性的に考える趣旨からは離れています。

 

 そこで今回も

『死とは何か 著:シェリーケーガン』

 

を元に、自殺について考えていきます。

 

 流れとしては

①、道徳心と合理性を分けて考える

②、「人は生きているだけで素晴らしい!」

③、「死なない方が良い」の証明はされていない

④、自殺が適切になりえるケースとは?

 

 この記事を読む事で、自殺について真正面から考える事ができます。

 自殺=悪と決めつけない事で、「死にたい」と言っている人を受容することができるようになります。

 適切な自殺というモノがあるのか、ないのかを知る事が出来ます。

 

 なお

「自殺が適切かどうかではなく、自殺を考えている人のことを知りたいんですよ!」

という貴方はこちらをどうぞ。

>>>自殺をする人はどんな心理状態で、何を考えているのか?貴方に出来ることとは?【閲覧注意!】

 

 

自殺はいけないことなのか?『道徳心と合理性を分けて考える』

 結論:『道徳心で考えると合理的に考えられなくなる』

 

 自殺について考えるというと、多くの人は嫌悪します。

 それは

『自殺=悪い事。いけないこと』

と考えているからです。

 

 そのように考える理由として、自殺というモノを道徳心から見ているためです。

 しかし、このシリーズでは死を道徳心からは見ていません。

 道徳心や宗教から見るのは真正面から向き合う邪魔にすらなります。

 

 死を特別なモノとはせず、他の物事と同じようにフラットに考えていきます。

 その観点で自殺も考えようとしているだけです。

 

 例えば、買い物に行く場面を思い浮かべて下さい。

 

 空は晴れており、風一つない状態。

 買い物先は1キロ先のお店です。

 

 貴方は

「今日は気持ち良さそうだから歩いて行くか!」

と考えるかもしれません。

 

 恐らくこれは適切な判断と言えますよね。

 買い物という目的だけではなく、気分転換、気持ち良さを求めての徒歩ですからね。

 

 ではこれはどうでしょうか?

 空は大雨、強風です。

 買い物先は同じ1キロ先のお店。

 

 恐らく貴方は徒歩では行きませんよね?

「車で行こう!」

と考えると思います。

 

 この条件で徒歩で行く判断はあまり適切とは言えません。

 買い物という目的上も、商品が濡れてダメになるかもしれません。

 疲れるでしょうし、ストレスも受けるかもしれません。

 そのため、この条件なら車で買い物に行く判断は適切だと言えます。

 

 このように、同じ行為を考えるにも、その時の条件によって適切な判断は変化します。

 

 ここでは、自殺についても

『なにで買い物に行こうかな?』

と同じように、その時の条件等によって適切になり得る場面はあるのか?

と考えていきます。

 

 買い物に徒歩で行くか、車で行くかを考える時に

「車は罪深い乗り物です。何故なら、云々」

「地球温暖化が叫ばれている中で、云々」

「車で行くと、人を傷付けてしまう可能性が、云々」

等と、道徳心はまず持ち込みませんよね。

 

 ここから読み進める貴方も、自殺に対して、出来るだけその道徳心を排除して見ていって下さい。

 

 なお、私は自殺を容認するつもりはありません。

 しかし、この先、自殺と真正面から向き合って行く事になるので、貴方が精神的に何か影響を受ける可能性があります。

 私は責任を一切負いませんので、自己責任で読み進めて下さい。

 

 それでは自殺について真正面から向き合っていきましょう!

 

 

 

自殺はいけないことなのか?『「人は生きているだけで素晴らしい!」』

 結論:『不老不死が最高の喜びになってしまう』

 

「人は生きているだけで素晴らしいんだ!」

と語る人がいます。

 

 もちろん、言いたい事は理解できますし、その価値観を否定するつもりはありません。

 むしろ生きる力を得るためには、とても良い考え方だと思います。

 

 しかし一つずつ考えていくと、この考え方には違和感を覚えます。

 

 ここで一つ考えて欲しい事があります。

「人は生きているだけで素晴らしいと考える根拠は一体なんでしょうか?」

 

 それは恐らく、

『生きている限りその人の可能性が継続し続けるし、楽しい経験が待っているから』

だと思います。

 

 死の悪い部分としての

『その人の可能性をなくすことが悪い』

とも合致しますし、一見適切な考え方に思えます。

 

 という事は、この考え方に沿って考えると、

『生きる長さは、長ければ長いほど素晴らしい』

ということになります。

 

 だって、生きているだけで素晴らしいわけですからね。

 このように考えると、前の記事

>>>本質的な死を考える。「貴方は宗教に頼らず死を語れるか?」

との矛盾が生じますよね。

 

 出来るだけ長く生きる方が素晴らしいのであれば、不老不死こそが最も素晴らしい事になります。

 しかし、不老不死はとても辛いことだと結論を出したはずです。

 

 死の何が辛いのかは

『あまりにも早すぎる訪れ』

だったはずです。

 

 死そのものが悪いのではなく、私達が思っている以上に早く訪れるから悪く見えるだけ。

 しかし、生きているだけで素晴らしいとすると、これを全面的に否定することになるんですね。

 

 順々に考えて来ると、何かシックリきませんよね。

 

 

 

自殺はいけないことなのか?『「死なない方が良い」の証明はされていない』

 結論:『メリットとデメリットを明確にして比べるのが重要』

 

 生きている事に一定の素晴らしさがあることは確かです。

◎、その人のこれからの可能性

◎、楽しい経験が出来る可能性

これらがありますからね。

 

 では死ぬ事に関してはどうでしょうか?

 死ぬことの素晴らしさは何でしょうか?

 恐らく、死を素晴らしいことだと考えた経験のある人はとても少ないと思いますので、一緒に考えてみましょう。

 

 恐らく死の素晴らしさは

◎、不老不死の辛さを味合わなくて済む

◎、生きる辛い面から逃れられる

だと思います。

 

 生きることは素晴らしいとは言え、不老不死。

 つまり、終わりが永遠に来ないと辛いだけになってしまいます。

 そのため、不老不死の辛さを味合わなくて済むのは死のメリットと言えます。

 

 もう一つの生きる辛さから逃れられる。

 これも分かりますよね。

 

 生きる事には素晴らしさがある一方で、辛いことも当然あります。

 その辛さが強すぎると死にたくなるわけですね。

 考え方としては一定の理解が出来ると思います。

 

『生きる素晴らしさ』

と、

『死ぬ素晴らしさ』

 

 この2つが出揃ったところで多くの人は

『生きる=素晴らしい』

『死=悪い』

との固定概念から

「死ぬことは悪いことなんだよ!」

と結論付けます。

 

 しかし、ここではそんなに安易な結論は出しません。

 

 お互いに素晴らしい面も、悪い面もある以上、絶対的にどちらの方が素晴らしい。悪いと決めつける事は出来ません。

 

「どちらが素晴らしいのか?どちらが悪いのか?」

を考える時に重要なことは、素晴らしさの度合いと悪さの度合いを比べることです。

 

 問うていることが難しいので、疲れてしまっている人もいると思いますので、例を出します。

 

 例えば最初の買い物の例で考えて見ましょう。

 晴れの日に1キロ先のお店へ買い物。

 

 徒歩で行くと

◎、気分転換

◎、気持ち良さ

◎、沢山買い物が出来ないから出費が抑えられる

等というメリットがあります。

 

 一方でデメリットは

◎、車の方が速い

◎、疲れる

◎、沢山買い物ができない

等です。

 

 これらのメリット、デメリットを比べて、貴方にとってメリットの方が大きかったので、

「この日は徒歩での買い物は素晴らしい!」

となったわけです。

 

 しかし、荒天の日は徒歩での買い物は悪い選択になります。

 車で買い物に行く方が素晴らしくなります。

 

 この例のように

「生死に関しても、その時々によるメリットとデメリットをキチンと見比べて考えないと適切な判断は出来ないよね?」

という事です。

 

 多くの場合はこのようにメリット、デメリットすら考えず、固定概念だけで判断されているので、違和感があるわけです。

 

 では、メリット、デメリットで比べるという観点で、自殺が適切になるケースがあるのかを見ていきましょう!

 

 

 

自殺はいけないことなのか?『自殺が適切になりえるケースとは?』

 結論:『自殺は適切になり得るが、判断が出来ない』

 

<自殺は適切になり得る>

 生死どちらにも、一定のメリット・デメリットがあることは分かりました。

 そのため、

『死ぬ選択には適切になり得る可能性がある』

と言えます。

 

 問題は自殺の適切性です。

 これを道徳心・倫理観抜きに、メリット・デメリットだけで考えるなら、訪れる死か、選択する死かの違いがあるだけで、同じ死です。

 そのためここでは、自殺も普通の死と同じように考えるべきです。

 

 感情的に違和感は残るかもしれませんが、そもそも今まで禁句として考える事を避けてきた

『死・自殺』

と真正面から向き合っているのですから、違和感は当然です。

 

 しかし、メリット・デメリットだけで考えるなら、

「訪れる死も、自殺も同じ」

と考えるのが一番自然です。

 

 そのため、死に適切な場面があるのなら、自殺にも適切な場面はあると言えます。

 

 自殺にも適切な場面があると仮定出来たところで、これをもう少し分かりやすい言葉に変えましょう。

 

 メリット、デメリットで生死を判断するのであれば、自殺が適切になる時とは

『生きているよりも、死んだ方がましなとき』

と言えます。

 

 では、死んだ方がましなときとは一体どんな時のことを指すのでしょうか?

 

 

<自殺が適切なケースを考える>

 死んだ方がましになる場面を考えるためにはもう一度、生死のメリットを思い出す必要があります。

 

 生きるメリットは

◎、その人のこれからの可能性

◎、楽しい経験が出来る可能性

 

 死ぬメリットは

◎、不老不死の辛さを味合わなくて済む

◎、生きる辛い面から逃れられる

 

デメリットはそれぞれその逆ですね。

 

 では、生きる事よりも死ぬ事の方が適切なケースを考えて見ましょう!

 

 なお、これを考える上で、一つだけ!

『良い人生=生きているメリットの方が大きい状態』

『悪い人生=死ぬメリットの方が大きい状態』

と定義しておきます。

 

 それでは行きます!

 

 

<ケース①>

『過去と比べて今の状態があまりに悪過ぎる』

 

 一番自殺を考える人に多いのがこのケースです。

 今までは順風満帆に、普通に生活してきたのに

◎、恋人に振られた

◎、離婚した

◎、入試に落ちた

◎、仕事を失った

◎、事故に遭った

等々。

 

 この経験により、

「もうダメだ!この先真っ暗だ。辛すぎる。死んでしまいたい」

と考えるわけですね。

 

 しかし、これによる自殺は

『不適切』

です。

 

 その辛さは

『今までの充実した自分や理想像と比べて悪いだけ』

です。

 

 そのため、

『生きているメリットの方が大きい状態→生きているメリットの方が大きい状態』

です、

 

 良い人生の中で浮き沈みをしているに過ぎません。

 その前が良かったから、沈んだショックが大きいだけで、沈んだ後も良い人生な事に変わりはありません。

 

 それに気付けていないだけです。

 

 このケースでは全体的に見て、生きていることによって得られるメリットしかない人生です。

 そのため、これを理由とした自殺は不適切と言えます。

 

 

<ケース②>

『良い人生から悪い人生に転落した』

 

 これもケース①に似ていますが、少し違います。

 ケース①は良い人生の中での浮き沈みでした。

 

 ケース②は良い人生から悪い人生への転落です。

 つまり、死ぬメリットの方が大きくなったという事です。

 

 例えば、脳死状態、いわゆる植物人間状態になった場合。

 しかも、意思表示が出来ないだけで、常時激痛と、苦しみが襲ってくる場合はどうでしょうか?

 現在の医学ではこれを完治させることも出来ません。

 

 もちろん、人によるかもしれませんが、貴方自身がそうなった場合

「死んだ方がましだ」

と考えるのではないでしょうか?

 

 じゃあこれなら死ぬことは適切と言えるのでしょうか?

 実はこのケースでの自殺も

『不適切』

です。

 

 何故なら、生きるメリットとは

『その人に可能性が残っている状態のことだから』

です。

 

 今の医療では回復出来なくても、今後医療が発達して、植物状態から回復できる未来の可能性があります。

(実際にナノマシンによって可能かもと言われています。)

 

 そうしたら貴方の人生は良い人生になる可能性が十分残っています。

 このように考えると、まだ死ぬ事が適切とは言い切れませんよね。

 

 

<ケース③>

『ずっと悪い人生で、良い未来になる可能性もない』

 

 では最後にこれです。

 生まれてから今までずっと常に悪い人生。

 死ぬメリットの方が大きく、しかも、今後も良い未来になる可能性が完全にゼロな状態。

 

 どうでしょうか?

 生きる意味を見失いますよね。

 今も最悪、未来も最悪な状態が確実なんですよ。

 

 このまま生きていても楽しいことなんて絶対にあり得ない人生。

 貴方自身がそんな人生だった場合

「死んだ方がましだ」

と思いませんか?

 

 このケースでは生き続けるメリットが全くありません。

 

 という事は、

『常に悪い人生で、これからも良い人生に変わる可能性はゼロ』

このような場合には死ぬこと、自殺することは

『適切な判断』

だと言えます。

 

 安楽死という言葉で濁されていますが、安楽死とは自殺のことです。

 そのような概念もあるくらいですので、自殺が必ずしも絶対悪だとは限らないという事ですよね。

 

 

<自殺が適切な場面の判断は出来ない>

 自殺が適切になり得るケースがあることがわかりました。

『今まで悪い人生で、これからも良い未来になる可能性はゼロな時』

です。

 

 しかし、これには一つ難しい問題点があります!

 それは

『良い未来になる可能性がゼロって一体どんな状態?』

ということです。

 

 生きるメリットは

『可能性』

という部分です。

 

 その可能性が全くないゼロの状態って想像できますか?

 

 先ほどの植物人間の例で説明します。

 貴方は植物人間状態で、常に激痛が走り、苦しさに襲われています。

 

 もし世界で核戦争が起きれば回復できる見込みはほぼないでしょう。

 世界大恐慌が起きて、医療研究がストップし凍結されても回復の見込みはかなり低くなります。

 

 しかし、貴方が生きている間にそれらの大事件が発生せず、治療技術が確立され、貴方は植物状態から脱して良い人生に転じる可能性もあります。

 もしそれらの大事件が発生しても、その中から医療が発達する可能性も残っています。

 

 このように様々な可能性の中で、良い人生に転じる可能性が少しでも残っている限り生きるメリットの方が大きくなります。

 

 だって生きるメリットは、その

『良くなる可能性そのモノ』

なんですから。

 

 その良くなる可能性がゼロな状態って・・・一体どんな状態ですか?

 これは誰にも分かりません。

 

 そのため、自殺は、

『確かに適切になり得る選択肢だけど、その判断が出来ない』

と言えるんですね。

 

 だから

『自殺は不適切なケースがほとんど』

だという事です。

 

 道徳的に、倫理的に、自殺は問答無用で不適切なのでは決してありません。

 自殺は適切になり得る行為だけど、正しい判断をするのが難しいというだけです。

 

 これは、結論は同じだとしても、キチンと死と向き合った経験があるか、ないかの違いなので、大きな違いです。

 

 

 

まとめ

 今まで真正面から向き合って来なかった話ですし、どうしても道徳心や倫理観が働いてしまうのでとても疲れたと思います。

 

 それでは

理性的に自殺を考える。適切な自殺というものは存在するのか?

についてまとめて終わりにします。

 

 道徳心と合理性を分けて考える

 道徳心で考えると合理的に考えられなくなる

 

 「人は生きているだけで素晴らしい!」

 不老不死が最も素晴らしいことになってしまう。

 

 「死なない方が良い」の証明はされていない

 メリットとデメリットを明確にして比べるのが重要

 

 自殺が適切になりえるケースとは?

 自殺は適切になり得るが、判断が出来ない

 

 

 ここまで読んで頂きありがとうございます。

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