今日貴方の大切な人が死んだらどうしますか?『立ち直る事は出来ない』
この記事は音声学習に対応しています!
貴方の周りには大切な人がいますか?
恋人、旦那や妻、親、友達等々。
「あの人とはもう腐れ縁のようなものだよ!」
「最近マンネリ!会ってても楽しくない、平凡って感じ!」
「しょっちゅう喧嘩してる!本当に疲れる!」
等々、悪態をつきあいながらも一緒にいるかもしれません。
ではもしも、そんな人達と喧嘩している最中に、その人が亡くなったとの連絡を受けたら貴方はどうなるでしょうか?
最後の言葉が
「うっせぇ!黙ってろ!」
だったら後悔しませんか?
そうだった事で、とても辛い思いを経験した人がいます。
そこで今回はその人が書いた
『旦那が突然死にました 著:せせらぎ』
という本をご紹介します。
この記事を読む事で
◎、当たり前に一緒にいてくれる人達の大切さに気付けます
◎、大切な人と死別した人の気持ちが少しは理解できます
◎、死別した苦しみと向き合うヒントを得られるかもしれません
それでは詳しく見て行きましょう!
無理矢理前向きになるか、死を選ぶかしかない辛さ
著者のせせらぎさんは、33歳の時に旦那のまーくんと死別しました。
死因は心不全による突然死のようです。(確か本のどこかに書いてあったかと)
それまで
目を見て「おいしい」と言い合い
愚痴を言って、たわいもない話をし
子供が生まれても手をつなぎ
何時間も二人で長電話をし合い
帰宅を待って雑談をする
そんな時間が一番好きで幸せだった。
そんな中、まーくんの実家に帰省中に喧嘩をします。
「うっせ!黙れ!」
と暴言を吐かれた事で
「黙れはないわぁ~!謝ってくるまで許さない!」
と自分の実家に逃走!
これが最後の言葉となりました。
その辛さは想像を絶し、子供と一緒に心中をしようと本気で考えたこともあるようです。
何年経っても、
「立ち直るという事は不可能です!それでも前を向かないと生きていけないでしょ!」
と言います。
そんな経験をされた、せせらぎさんの書いた本。
この中から、独断と偏見により、個人的に印象に残っている部分を3つ抜粋します。
①、「カマキリなの?」
②、「他人の人生に寄り添うということ」
③、「見送るために夫婦になったんだよ」
それでは更に見て行きましょう!
①「カマキリなの?」
食事をしていると窓から飛び込んできたカマキリ。
自転車に戻るとサドルに乗っていたカマキリ。
旅行に行くと旅館にいたカマキリ。
行く先々にカマキリがいたことで、
「まさか、まーくん!?」
との心境になり、出た一言が
「・・・カマキリなの?虫はやめてよ・・・」
本の中でそこまで心境が書かれてはいませんが、私はそのように捉えました。
偶然沢山見掛けたカマキリにですら、旦那さんの面影や生まれ変わりを想像してしまうような心境だという事ですね。
大切な人を突然失うと、そのくらい、どんな出来事に対しても関連付けてしまうようになるんですね。
②「他人の人生に寄り添うということ」
介護の世界でも頻繁に使われる言葉ですが
『寄り添う』
という事。
相手の人生を背負い、その後もその人に縛られて生きて来たせせらぎさんは、この
『寄り添う』
という事をどう考えるのでしょうか?
それは
『理解出来る部分を共有し、近くにいるときに抱きしめてあげる事』
せせらぎさんは、相手が生きられなかった人生を背負ったことで、それが大きな負担となり、心中を本気で考えるまで落ちてしまいました。
そこから
『人は全員、個々の人生を生きている。人の人生を背負うのは無理。寄り添えないのが当たり前』
と考えます。
これらはどういうことか?
それは、
「病気に気付けなかった。」
「体調を気にしてあげられなかった。」
それは本人が向き合うべき問題であって、周囲の人間が責任を感じるべき問題ではない!
なぜなら、人は各自がそれぞれの人生を生きており、どんなに近しい人でも、それを背負って、寄り添うことは不可能だから。
不可能なことに責任を感じて、苦しむのは良くない!
しかし、愛していた事実は変わらない。
それなら、理解出来る事だけでも良いので、共有すれば良い。
近くにいるなら抱き締めれば良い。
そんな時間を沢山作れれば温かで、豊かな人生になるんだろうな。
ということです。
重みが違いますよね。
私も貴方も、近くにいる大切な人にそれをする事が出来ますよね。
寄り添うとは、依存でも、背負うでもなく、自分の人生を生きつつ、共有することなんですね。
③「見送るために夫婦になったんだよ」
死別をしたことにより
「なんで出会ったんだろう?」
「なんで結婚したんだろう?」
「なんで死んでしまったの?」
と考える日々を過ごしたそうです。
それを考えることで、少しでも自分の心が軽くなる答えを探し出したかったそうです。
その結果、心に止まった考えがこの
『見送るために夫婦になったんだよ』
です。
このような別れ方をせず、老衰による別れだとしても、いずれどちらかが、どちらかの死を見送ることになります。
つまり、出会いや結婚とは、
『相手を見送るための行為』
と言えるわけです。
せせらぎさんはこの考えのお陰で
「こんなに辛い思いを、まーくんにさせないで良かった」
と思えたようです。
実はこの考え方は、私の彼女も既にしているようなので、心に残ったんです!
せせらぎさん夫婦はまーくんが9歳年上。
私のところは、私が10歳年上です。
そのため、
「ふたひいが先に死んじゃうんだよね?嫌だなぁ~。私生きていけないよ!」
と良く言われます。
『見送るために夫婦になる』
なんとも悲しいですが、逆を返すと
「この人に見送って欲しい。この人を見送りたい」
と想い合っているということかもしれません。
そう考えたら、
『ソバにいるのが当たり前』
だけではなく、一緒にいるときから見送る時の事を考えておかなければならないのかもしれませんね。
だって、その時は必ず訪れるわけですから。
まとめ
突然の死別は、無理矢理前向きになるか、死を選ぶかしかないほどの辛さのようです。
今当たり前に一緒にいてくれる人達。
その当たり前は、当たり前ではないのかもしれません。
とても尊く、貴重な時間なんですね。
大切な人と死別した人は、そんな時間を強制的に破壊され、立ち直ることなんて出来ないどん底に落とされてしまう。
それでも、まだ人生が続くのなら、前を向いて生きて行かなければならないわけですね。
だって、人の人生は各自バラバラで、背負ったり、全く同じ道を歩むことは不可能なんですから。
貴方の大切な人がそこにいるのは当たり前なことではないのかもしれません。
是非この機会に
「もしこの人が突然死んでしまったら」
と考えてみませんか?
そうなったときに、貴方は今のままの人生を歩める自信はありますか?
もし、無理なら今の関わり方のままで良いのでしょうか?
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