東日本大震災から10年の節目。『ふたひいの体験談と想い・学んだこと』をお話します。
※ この記事は音声学習に対応しています。
2011年3月11日、14時46分
マグニチュード9、最大震度7を観測する東北地方太平洋沖地震(通称:東日本大震災)が発生しました。
プロフィールを見ていただければわかりますが、私の実家は茨城県。
当時私が住んでいたのは埼玉県なので、中心地ではありませんが被災しています。
現在20歳以上の人は
「東日本大震災ってどんなだったんですか?」
「大震災のときなにしてました?」
等と気になるようです。
一方、当時はまだ小さくて覚えていない人には、戦争と同じように遠く、教科書の中の話、架空の出来事のように受け止められガチです。
そこで今回は東日本大震災の被災者の一人として当時を振り返りつつ、この10年で何を学び、行動したのか
『東日本大震災の体験談』
についてお話していきます。
この記事を読むことで
◎、東日本大震災がどのようなモノだったのかイメージできます
◎、報道されない東日本大震災時に起きていたことが分かります
◎、大地震に備えて何をどう準備すれば良いのかイメージできます
それでは私の東日本大震災に関するお話を確認していきましょう!
経験から学びを得て、行動しなければただの昔話で終わる
今の私が当時から今までを振り返り想う事。
それは
『経験から学びを得て、行動をしなければ意味がない』
ということです。
今の私は普段から何度も、何度も
「今の時代は学習が大事!変化を受け入れ、成長しましょう!」
と言い続けています。
しかし、その考えを持ったのはここ1~2年の間なので、当時の私はまだそんな考えを持っていませんでした。
「勉強?やった方が良いのは分かるけど、中々始められないんだよねぇ~!」
と、行動しない理由を考えて、ダラダラと生きていました。
そんな私でも、東日本大震災の被災経験から防災に関する行動を起こしました。
当時はまだ今と同じ考えではなく、単純に
「流石にこれと同じレベルの災害がまた来たら、何の準備もしていないと生き残れないかも!?」
という気持ちでしたけどね。
東日本大震災に被災しなかった人もこの記事を読んでいると思います。
そんな貴方は是非、この体験談から何かを得て、実際に行動を起こして下さい。
行動の一つとして、東日本大震災から生き方を考える学びを得るこちらの記事もどうぞ。
>>>東日本大震災から10年の節目に考える死生観!『生きるとはどんな状態?』について考える。
そうしなければ体験談はただの昔話、娯楽の時間で終わってしまいます。
自分自身で体験しないでも学びが得られるのが一番良いことです。
その機会を得られた羨ましい状態なのですから。
そんな貴方に向けての私の体験談は大きく8章に分けて語りたいと思います。
①、地震発生当時
②、街中の様子
③、帰宅・被害、通話出来ない
④、計画停電
⑤、被災者受け入れ
⑥、防災・防犯を学ぶ
⑦、差別
⑧、自分で学び、変化を受け入れ成長できる人は強いと学ぶ
少し長くなってしまいますが、それぞれについて私の目から見た東日本大震災を一緒に見ていきましょう!
①地震発生当時
地震発生当時の私は埼玉県内にある特別養護老人ホームの介護職員として仕事をしていました。
歩行が不安定な98歳のご利用者の手引き歩行中。
最初は
「あれ?何か揺れてるかな?地震かな?」
くらいの状態で気付き、そのご利用者をイスに座らせ収まるのを待っていました。
すると揺れが急激に大きくなり始め、
「頑丈な介護施設が倒壊するのでは?」
と思うほどの揺れへと変わります。
人生の中でも初めて体験するほどの大地震でしたが、元警察本部刑事という経験もあり、パニックを起こすことはありませんでした。
私の目と頭は大きく2点
◎、人の状況
◎、建物の状況
に集中していました。
職員の多くは怖がって近くにいたご利用者に抱きついている状態で、結果としてご利用者を守る形になっており問題なし。
見える範囲のガラスは割れておらず問題なし。
ガラスが割れる音は・・・揺れによる音と人の悲鳴が大きすぎて判別不可。
体感では10分くらい揺れていたように感じましたが、実際は1分ちょっとくらいだったと思います。
揺れが収まると、
◎、ご利用者の安全確認
◎、施設の被害状況確認
を即座に行うため、各居室を回り始めました。
幸いガラスは1枚も割れておらず、ご利用者に被害はゼロ。
ただし、棚の扉は全開、物という物がそこらじゅうに散乱している状態でした。
更に、施設の一部壁と床に亀裂が入っていました。
そんなこんなで、慌ただしい状況が被災当時の記憶です。
②街中の様子
私の場合は被災したと言っても埼玉県なので震度5強くらいでしたので、その日は普通に勤務を終えて帰宅します。
早番だったので17時ころです。
すると施設の中にいるだけでは分からなかったことが見え始めます。
今でも記憶に残っているのは2点。
一つ目は、
『信号機が消えていること』
信号機が一個も付いていないんですね。
私は帰宅途中に片側2~3車線の国道を渡るのですが、まだ警察官も配置されておらず、信号機が点いていないのでかなり怖かったのを今でも覚えています。
車が途絶えたところで、恐る恐る国道に侵入し、一気に抜けていくという感じです。
このような危険が多いので
「大災害直後は動かない方が良い」
というのは本当です!
そして2つ目が
『お店から食料がなくなっていた』
です。
地震発生から私が帰宅するまでに約2時間。
この間にお店の食料品は買い集めにより、無くなっていたんですね。
いつも寄るコンビニにも、スーパーにも食べ物がほとんどありませんでした。
お店も停電しており、アイスコーナーは全滅。
唯一残っていたコッペパン1個を買ったのを覚えています。
一応レトルトの激辛10倍カレーも残っていたのですが、流石にそれは買いませんでした。
本当に一瞬で食料品が街からなくなり、その後も手に入らなくなります。
そのため、普段から食料品の備蓄はしておいた方が良いんですね。
③被害
なんとか帰宅した私は、自宅の被害確認をします。
やはり物という物が床に散乱していましたが、建物への被害はありませんでした。
テレビも倒れておらず、無事。
ただし、部屋に設置されていたガス式の給湯器が壁から外れて落下していました。
チューブが切れていたわけではないので、ガス漏れはしておらず、機械も問題なし。
壁に設置し直して解決でした。
私の被害はこれだけで済んだのですが、ここで気になるのは茨城県の実家です。
ニュースによると震度6以上でしたからね。
しかし、大災害直後は電話が繋がりません!
全国の人達が一斉に電話を掛け始めるから回線がパンクしてしまうんですね。
それでもメールで安否確認だけ何とか取れたという状況でした。
これを教訓に、携帯各社は災害発生時には回線拡張対応をしてくれるようになりましたし、LINEが誕生しました。
LINEを使っている人達から
「既読無視する人って何なの!?」
「喧嘩の元になるから、この既読表示機能いらないんだけど!」
なんて言葉を聞くこともあります。
しかし、LINEの既読機能は、
「東日本大震災のような大災害時に、回線がパンク状態でも安否確認だけでもできるように!」
との想いから生まれて、実装されている機能なんですよね。
LINEの理念的にもこの機能が消える事はないと思います。
>>>なぜヤフーとLINEは経営統合したの?その狙いと背景は?今後どうなるの?を分かりやすく説明します。
それでも心配な貴方は、回線パンクにほとんど影響を受けないこちらのアプリを使ってみてはいかがでしょうか?
>>>ブロックチェーンによる安否確認サービス『getherd』へのリンク
④計画停電
東日本大震災では福島県にある原子力発電所が大きな被害を受け、機能停止。
「爆発して、周囲数十キロが一気に吹っ飛ぶんじゃないか!?」
という緊迫した状態が連日続きました。
これを受けて全国の原子力発電所の見直しがされ始めます。
これにより、関東一円は電力不足に陥ります。
ここで政府は、停電による最悪の事態だけは避けたい考えでした。
では、一体何が最悪な状態なのでしょうか?
それは、電力消費量が、供給されている電力量を超えてしまうことで
『関東全域が一斉に大規模停電してしまう事』
でした。
主要機関や主要企業等の本社が一極集中している東京都や関東圏が一斉に停電すると、その被害は想像できないレベルの大損害になります。
政府としては
「それだけは絶対に避けたい!」
と言う事で、行われたのが
『計画停電』
というモノでした。
計画停電とは、
『政府の権限で時間と地域を区切り、強制的に停電させる取り組み』
です。
例えば
3月20日、午後7時~午後9時まで、埼玉県さいたま市を停電にする
3月20日、午後9時~午後11時まで、東京都新宿区を停電にする
みたいな感じです。
今考えると、新型コロナで大騒ぎされている緊急事態宣言よりも遥かに強制力が強く、私達個人個人に大きな影響の出る取り組みですね。
こうすることによって、消費電力を強制的に抑えることができます。
それによって大規模停電を防止するだけではなく、絶対に電気を止める事が出来ない病院のような機関に電気を回せるようになるんですね。
この状態がしばらく続き、2011年の間はテレビでも
『今日の電力予想』
なんてモノもされていました。
「今日は暑いので電気消費予想は98%。節電をしつつ、熱中症にも気を付けて下さい!エアコンが効いている場所に行くなんて事も良いですね!」
のようなことが言われていましたよね。
「今日は暑いから、計画停電前にあそこのコンビニで過ごそ~!」
なんて人もいました。
そこから自家発電の機械が売れ、自宅用蓄電池の開発・普及も進んで行きましたね。
⑤被災者受け入れ
福島県は原発事故の関係で、他県に避難する人が多くいました。
その避難先も、被災している関東地方という現状でした。
もっとも、これに関しては後述する
『⑦差別』
の経験から、被災した東北&関東以外に避難させないで正解だと思っています。
ともかく、埼玉県も避難者受け入れをしており、当時勤務していた特養でも介護が必要な避難高齢者を2名受け入れました。
「家族の居る避難先では、介護が必要な高齢者は受け入れられないんです!」
という理由で介護施設に入ってきたそうで、体以外はシッカリとしている方々でした。
その2年後に、見知らぬ埼玉県の地で1人は亡くなり、その1年後にもう一人も亡くなりました。
「本当は家族が介護できる状態で、実際に介護していたのに!」
という状態でも、震災一つで離れ離れとなり、見知らぬ地で息を引き取るような最期もあり得るという事です。
このことは是非多くの人に知っておいて欲しいと思います。
⑥防災・防犯を学ぶ
私は
「東日本大震災大変だったねぇ~」
だけで終わらせる気持ちになれませんでした。
そこから防犯や防災について学び始めます。
「防災は当然として、なんで防犯もなの?」
と思う人もいると思います。
しかし、震災発生時の状況を思い出して下さい。
◎、停電が起き、信号機も消えてしまい、警察官も足りず、街の機能が停止してしまう。
◎、食料品や日用品を
「他人はどうでも良いから、我先に!」
と求める群集心理。
そんなことが大規模に発生した大災害です。
犯罪だって何が起きてもおかしくありませんよね。
そんな時に頼りになるのは自分達だけです。
だから防犯なんですね。
実際に行ったのは
◎、自分に合った武器の購入(逮捕術で習得済みの警杖等)
◎、防犯商品購入(設置型防犯ブザー、防犯フィルム、補助錠、持ち歩き用防犯ブザー等)
◎、防犯資格の取得(S級防犯診断士)
です。
ここで
「元々警察官だったんでしょ?防犯なんて学ぶ必要なくない?」
と感じる人も多いかもしれませんが、警察経験は関係ないんですね!
と言うのも、警察官は防犯教育を一切受けていません!
そのため、警察官に防犯知識や技能は皆無です!!
事件現場の場数を踏んでいるので、肌感覚で
「こうした方が良いと思う」
を持っているに過ぎず、そこに何の根拠もありません。
実際に、
『警察署刑事課窃盗犯担当部署の責任者の自宅が空巣被害に遭った!』
なんて事件も担当した経験があります。
そんなこんなで、被災を経験したことにより、防犯と防災について学ぶ行動を起こしました。
これらが実際に活躍したことはまだありませんが、知識があり、何か起きた時の解決策が思い浮かぶのは精神的な安定にはとても役立っていますよ。
⑦差別
東日本大震災に関する報道は
「家族を亡くして悲しみに暮れる」
とか
「復興に向けて!」
とか、綺麗にまとまる内容が多くされています。
実際にそのような報道によって、活力を得たり、助けになっている人が多いのは事実なので否定はしません。
しかし、その裏で、当然と言えば当然ですが報道されない差別は起きていました。
私は出不精なので被災地から出ないので差別を受けませんでしたが、茨城県にいる知人は旅行先で差別を受けました。
知人は友人と一緒に関東以外の温泉地へと旅行へ!
お客と旅館の従業員との間で自然に行われる
「今日はどちらからいらしたんですか?」
という会話。
しかし、知人が
「茨城県からなんですよ!」
と発した瞬間、態度が一変したそうです。
「今すぐ旅館から出て行け!放射能がうつるだろ!」
と追い出されたそうです。
しかも、悲しいことに、このことをSNSで
「こんな悲しい経験をしました!」
と発言したら
「この日本でそんな差別あるわけないだろ!作り話して被害者ぶってんじゃねぇよ!」
と炎上したようです。
実はこれに似た差別って、今でも変わらず起きているんですよね。
それは
『新型コロナでの医療従事者への差別』
です。
頑張って新型コロナと闘っている医療従事者の中には、近所や生活圏の人達から
「来るな!染るだろ!」
のような差別を受けている人もいます。
みんながみんなとは言いませんが、一人このような差別的言動をすると、差別を受けた人にとっては
『それが世間の態度』
と受け取ります。
そのため、私は正直
「日本は東日本大震災の経験から、心理的な部分では何も変わってないんだなぁ」
と感じてしまいます。
⑧自分で学び、変化を受け入れ成長できる人は強いと学ぶ
多くの人は経験から何かを学び、それを受け入れて成長する糧にすることが出来ません。
特に考え方や精神成熟という面では。
例えば、東日本大震災からの復興で日本中が口を揃えて言っていた言葉
『絆・人と人との繋がりの大切さ』
確かに、復興という目線では強い力になり得たと思います。
しかし、そこから学んだ人はどれだけいたでしょうか?
実際に私は、その後被災した職場で、被災した人からパワハラを受け、被災した他の誰にも助けられないまま精神を壊し、命を落としかけました。
そんな経験をした私としては正直
「絆?人と人との繋がり?何言ってんの?誰もそんなモノ大切にしてないじゃん!むしろ、それによって命を失いかけたんですけど。」
と感じる部分もあります。
しかし、この本質的な部分は絆とか、人と人の繋がりという”言葉”ではないと思います。
そうではなく、
『学習や経験を通して学び、それを受け入れ成長していくことこそが本質的に重要な事』
なんだと思います。
多くの人がそれを出来ないとしても、自分自身はその事に気付いたわけです。
それなら、せめて自分自身のことはそう変えていけば良いんですね。
そして、自分が変わり・成長すると、考え方や物事の捉え方、精神習熟度合いが変化します。
すると
『自分自身を助けてくれていた人』
『支えてくれていた人』
等の存在がいたことに気付きます。
そのことに気付けると、それまでは
「差別を受けた!」
「パワハラを受けた!」
というマイナス部分にしか目が言っていなかった自分自身の視野の狭さに気付きます。
学習をし、変化を受け入れ成長することは、視野を広げることなんですね。
これは、本当に大切にすべき部分に気付けるキッカケの一つなんですね。
もしも貴方が
「あいつふざけんなよ!」
という目線よりも
「ありがとう~!」
という気持ちの中で生きていきたいのであれば、
『学習や体験から学び、変化を受け入れ成長する姿勢』
これを意識してみて下さい。
これの大切さを意識出来た事が今の私にとって、東日本大震災の経験から得た最大の学びです。
まとめ
どんな経験だろうと、そこから学びを得て、行動しなければただの昔話で終わってしまいます。
それが例え東日本大震災のような大きな出来事だとしても。
その辺りに関する経験や経緯も含めて、今の私にとっての東日本大震災の話
①、地震発生当時
②、街中の様子
③、帰宅・被害、通話出来ない
④、計画停電
⑤、被災者受け入れ
⑥、防災・防犯を学ぶ
⑦、差別
⑧、自分で学び、変化を受け入れ成長できる人は強いと学ぶ
という流れでお話してきました。
これで東日本大震災がどのようなモノだったのか?被災していない人でもなんとなくイメージできましたよね。
報道されていない東日本大震災時に起きていたことや差別等を知る事ができましたね。
更に、
「大地震に備えて何をどう準備すれば良いのか?」
「どんな学びを得られるのか?」
等々、少しは意味があったのではないでしょうか。
この記事を読んで少しでも心が動いたのなら、その勢いで何かしら行動しましょう!
一番意味があり、簡単な行動は
『防災グッズを買うこと!』
です。
このタイミングで行動しないと絶対に貴方は行動しませんよ!
更に
「自分を成長させる行動をしたい!」
と考える貴方はこちらの記事もお読みください。
>>>東日本大震災から10年の節目に考える死生観!『生きるとはどんな状態?』について考える。
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